廃屋譚WEB
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謙信の野望 3年1ヶ月で天下統一
信長の野望【革新】天下統一日記
信長の野望「天下創世」プレイ記
信長の野望「嵐世紀」プレイ記

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三国志9スピードクリア
三国志11スピードクリア

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原画を担当したNorth WindがPS2に移植されました。
▽North Wind ノース・ウィンド ~永遠の約束~



■サントラも発売されています。
▽North Wind Complete Tracks

Manackさんの音楽がすばらしいのです。


■さらに原画集みたいなのも出ていたりして。
ぼくのはともかく、とりしもさんの絵は楽しいですよ〜


■しとねさんの単行本もご贔屓に。
▽弩月万罪TYPE-MOONゲームコミック作品集

▽CYNTHIA THE MISSION (1)





■お仕事情報
▽『Green Strawberry』で原画を担当しました。LOVERSOUL
▽『PC-Angel』誌で「エロゲ規制に反対するための理論武装」を連載中です。




■「表現の自由」について考える(3) ヒューム
 スコットランドの哲学者ヒュームが「言論・印刷・出版の自由」に言及している。原著は1742年刊、日本語では『市民の国について(下)』(岩波文庫)で読むことができる。
 ヒュームによれば、イギリスほど「言論・出版の自由」が広く認められている国はない。そしてその理由を、イギリスが君主制と共和制が拮抗する「混合政体」を採用している点に求める。君主制が圧倒的だったり共和制が圧倒的だったりする国家では「言論・出版の自由」は発展しない(この文脈で共和制が圧倒的な国としては、ルソーの社会契約論が想定されているだろうか)。イギリスのような混合政体では、君主制を制御して共和制が拮抗を保つために「言論・出版の自由」が必要となる。
もしわれわれが専制権力の進展を注意深く阻止するとともに、専制権力の脅威に抗して立ち上がるべきことを国の隅々にまで伝達する簡便な手段が存在せぬならば、専制権力は音もなく忍び寄ってわれわれに襲いかかるであろうことは予想されます。宮廷の野心に轡を嵌めておくためには、人民の精神が時折その眠りから覚まされなければなりません。(中略)このような目的に、言論・印刷・出版の自由ほど、有効なものはありません。なぜなら、この自由により、その国の学問、知性、精髄は自由の側に動員され、ひとびとはすべて自由の擁護へと鼓舞され得るからです。(217頁)
 この一文からも分かるとおり、ヒュームが「自由」を奨励するのは、それがその国の「学問・知性」そして「芸術」を発展させるために一番重要な条件と考えているからだ。これは同書に収録された別の論文である「芸術および学問の生成と進展とについて」で明らかにされている。ヒュームは、自由が抑圧された国で学問や芸術が発展することはあり得ないと主張する。
 さらにヒュームは自由を奪おうとする側の策動についても注意を促す。
自由に慣れ親しんでいるひとびとにとっては、隷従は世にも恐しい身の毛のよだつような顔をしています。ですから、そのような人々に受け入れられるようになるためには、隷従は必ず徐々に忍び寄ってゆき、しかも、無数の姿に身をやつさなければなりません。しかし、言論・印刷・出版の自由がひとたび失われるならば、如何なる種類の自由も必ず一挙に失われます。(298頁)
 「隷従」は自由を奪うために「無数の姿に身をやつす」とヒュームが主張しているが、彼の予想した危険は270年後の東京で、「青少年を健全に育成する」とか「ゾーニングに過ぎない」とかいう姿に身をやつした「隷従」によって現実の危険となっている。
 そして興味深いのは、ヒュームが「言論・出版の自由」にはなんらかの弊害が伴うことを指摘している点だ。弊害の内容として想定しているのは「扇動」と「文書誹毀」(298頁)で、ヒュームの文脈では「猥褻」は問題となっていない。
言論・印刷・出版にかんするわれわれの無制限の自由が、たとえその弊害に対する適切な是正策を提出することが困難、いや、恐らくは不可能であるとはいえ、われわれの国のような混合形態の政治的支配に付随する弊害の一つであるということは承認されて然るべきです。(218頁)
 「言論・出版の自由」を守るためには多大なコストが必要になる。しかしそれは自由な政治体制を維持するために必要なコストとして承認されなければならない。そのコストを払うのは一人一人の市民になるわけだから、各市民が負うべきコストについての議論は「公共的」に行われなければならない。しかし残念ながらヒュームの議論はその手前で終わってしまっている。(12/10)


■「表現の自由」について考える(2) ミルトン
 「表現の自由」も含めて基本的人権が統治理論一般の問題として浮上するのは17世紀市民革命以後のことだ(と言い切るには13世紀のマグナ・カルタなど貴族的自由を例外とする処理が必要ではあるが、省く)。
 「表現の自由」が分かりやすい形で登場したのはイングランドの清教徒革命(1641-)と名誉革命(1688-)の最中のこと。手に入りやすい基本文献がミルトン『言論・出版の自由―アレオパジティカ』(岩波文庫、原書出版1644年)だ。
 本書の内容自体はそれほど難しくない。副題に「出版の自由のためにイングランド議会に向けてジョン・ミルトンがする演説」とあるように、ミルトンがとことん自由を主張しているだけだ。東京都の役人や石原慎太郎知事に向けてそのまま贈りたい章句も非常に多いし、そんなに長くもないので、とりあえず権威付けのために読んでおくにも良い基本文献だ。

 とはいえ執筆の背景となった清教徒革命自体が宗教的な衝突なので、ミルトンの主張の要点は、まずは宗教的寛容にある。ミルトンによれば、出版物の検閲と弾圧の起源はカトリック教会の異端審問所にある。そしてイングランドではヘンリー8世のカトリック教会離脱からイギリス国教会が成立(1534)していたが、そのイギリス国教会もカトリックの異端審問所の真似をして出版物の検閲と弾圧を行った、とミルトンは言う。そして清教徒革命によって一旦は検閲制度が廃止されたものの、権力を握った長老派(国教会の一派)によって再び検閲制度が採用されるに至り、ミルトンが立ち上がったわけだ。

 ミルトンが検閲制度に反対する理由は、彼自身によれば主に3点ある。
(1)そもそも検閲制度を作ったのは破廉恥なカトリック教会。
(2)検閲を行うと人間の知性が衰弱する。
(3)誹謗中傷や名誉毀損を抑制するという目的に、検閲という手段は全く役に立たない。
 この3つの論点は、後の議論の展開を考えるとなかなか興味深い。

(1)そもそも検閲制度を作ったのは破廉恥なカトリック教会
 ミルトンはカトリック教会がどれだけ破廉恥かをさんざん主張した上で、そんなみっともないカトリック教会と同じように検閲制度を取り入れるのはみっともないことだと言う。
書物検閲の発明者とその起源が暴露され、まぎれもない素性が明らかになりました。われわれが知る限り、検閲はいかなる古代の国家、社会あるいは教会から出たものでもありません。また古代あるいは後代のわれわれの祖先によって伝えられた法に拠ってはいません。また宗教改革をおこなった外国の都市や教会の近頃の慣行から来たものでもありません。最大の反キリストの宗教会議および歴史はじまって以来もっとも非道な異端審問所から出て来たものであります。(22頁)
 ミルトンの主張が正しいかどうかはともかく、ここで興味深いのは、16世紀の宗教改革とそれに対する反動が検閲制度の出発点という主張だ。これに対しては、そもそも「言論・出版の自由」が問題となり得る物理的条件について、グーテンベルクの印刷革命について考えておく必要があるが、それは改めて。

(2)検閲を行うと人間の知性が衰弱する
 この論点は、19世紀のJ..S.ミルにまで引き継がれるように、イングランドで「表現の自由」が主張される際の王道となる。
 何が真実であるかについて、カトリックであればローマ教会が権威的に決めてくれるのでそれに盲目的に従えばいいだけだが、プロテスタントであれば自分で聖書を読んで自分の頭で考えなくてはならない。自分の頭で何かを考えるという場合、様々な人間の意見を聞いて多角的に総合的に判断する必要がある。仮に「悪」とされている本を読んだとしても、正当な理解力がある人間ならそこから真実を導き出すことが可能だ。その証拠に聖書それ自体にも様々な「悪」が登場する。聖書に「悪」が登場するのは、それがなければ何が真実かを判断することができないからだ。よって現在の目から見て異端や悪に見える書物を禁止することも、実は人間が真実を判断する道を塞ぐことだ。物事を理解し判断するということは悪や異端と思われるものも含めてあらゆる書物を読むところから形成されるのであって、もしも悪や異端を排除するという名目で言論・出版の自由を妨げるなら、必ず人間の知性が後退することになる。
この世という畑では、善と悪の知識はほとんど見分けがつかず、一緒に生まれてきます。善の知識は悪の知識とからみ合い、巧妙にあれこれ似ており、区別ができないほどです。(中略)善と悪の知識が双子のようにくっついてこの世に来たのは、人類の始祖が食べた果実からであります。おそらくこれこそアダムが堕落したあと善と悪を知り、悪によって善を知るようになった運命であります。この地上の人間の状態がこうである以上、悪を知らなければ知恵は選択できず、慎むべき節制もありません。悪が持っている誘惑、外見の快感をも含めて理解し、考察し、しかも控え、弁明し、真により良いものを選択できる人、その人が真に戦うキリスト者であります。(29頁)
 エロマンガなど性表現が「悪」であるとは個人的には思わないが、仮にそれを「悪」と思う人がいてもその人が性表現を抑圧することは人類史的な観点から許されないというのが、ミルトンの主張だ。

(3)誹謗中傷や名誉毀損を抑制するという目的に、検閲という手段は全く役に立たない
 言論・出版の自由を制限しようとする人は、本心では単に自分の主義に反するものを抹殺しようとしているだけだとしても、そんな本心は表には出さず、表面上はもっともらしい理由をつける。ミルトンの時期も、表面上は「中傷、扇動、誹謗文書」(12頁)とか「風俗矯正」(37頁)とか「色欲」(40頁)を取り締まるために言論統制を採用すると説明されたようだ。しかしミルトンは、仮にそれらの目的が正しかったとしても、言論・出版の取り締まりという手段はその目的を果たさないし、かえって有害だと主張する。
 ある本が有害かそうでないかを判断するには、それを判断するために綿密に内容をチェックをする仕事をする人間が必要となる。しかしある本が有害かどうかを判断できるほど思慮分別に富んだ人間であれば、そんな仕事につくわけがない。
書物やパンフレット、しかもしばしば分厚いものを終始読み続けることほど退屈で気がすすまない、雇われ仕事はありません。この仕事以上に読む人の時間を浪費させるものはありません。気に入った書物でも読みたい時というものがあります。見事な印刷でも、どう読んでも三ページともたないものを一日中、それもほとんど読める代物ではない手書きの原稿を読めと命じられるのは、時間と自分の仕事を大事にする人、あるいは好みの難しい人には信じられない負担であります。(43頁)
 よって、検閲の作業を実際にする人間は、マトモではありえないことになる。ミルトンは「ですから今後どんな人間が検閲官になるかは容易に予想できるでしょう。無知、傲慢、ずぼら、あるいは金銭ずくの人が職に就きたがっています」(41頁)と断言する。
 都庁の一室で山高く積まれたエロマンガのページをめくりながら「これは有害、これはOK」などと付箋を貼ってリストにまとめる役人の仕事を想像すると滑稽だが、その滑稽さは350年前の遠い島国でも指摘されていたわけだ。エロマンガの調査をする時間と金と人があるなら、実際に権利が侵害されている子供の救済のためにリソースを割いたほうがよいのは間違いがない。

(4)国民の知る権利について
 そしてもう一つ、ミルトン自身は主要な論点に挙げていないが、現代的な「知る権利」の発想の萌芽と思われる記述も見いだすことができる。
これは一般の人たちにとっても恥辱であります。英語で書かれたパンフレットを安んじて読ませないほど国民を警戒し、検閲官に食道を通してもらわなければ食べられないほど、信仰と思慮分別が重病にかかり、また軽率でしっかりしていない人間として国民を非難しているのです。国民に対する配慮だとか愛だとか嘘を言ってはなりません。俗人信徒が最も憎まれ、軽蔑されているカトリック教の国と同じ厳しい制限が課せられているではありませんか。(50頁)
 ミルトンは国民の思慮分別を信じてあらゆる言論を与えるべきだと主張する。国民に対する「配慮」とか「愛」などは言い訳に過ぎないと断言する。
 東京都政少年健全育成条例が「青少年への配慮」という言い訳に満ちており、実際は青少年にとって「恥辱」となっていることを思うと、この350年前の記述は味わい深い。(12/6)


■「表現の自由」について考える(1) 問題の所在
 「表現の自由」について根本的に考えなくてはいけない、としばらく前から考えていたわけだけど。というのも、東京都青少年健全育成条例に関して反対派が「表現の自由」を云々するとき、19世紀的で素朴な認識に留まって発言するケースが多いからだ。ナマクラな武器を使っていては勝負には勝てない。「表現の自由」という武器は、きちんと研いで磨いて切れ味を増しておく必要がある。
 たとえば、白田秀彰氏(法政大学)は「情報が溢れかえり、政治的対話を見失わせてしまうような状況のなか、単に「言論・表現の自由」と唱えるばかりでは、結果的に民主主義の根幹を揺るがしかねない状況に至るのではないかと懸念します」と述べているが、これは20世紀的状況を踏まえた正確な状況判断だろう。単に呪文のように「表現の自由」と唱えることは、長い目で見れば性表現にとっても利益にはならない。

 さて、具体的には、「表現の自由」は20世紀には「知る権利」としてより一般化された。この「知る権利」という観点から考えた場合、東京都政少年健全育成条例改正案は「未成年の知る権利を侵害する」ものとして批判の対象となる。それはよい。しかし全く同様に、「知る権利」という観点から考えた場合、たとえば尖閣諸島で中国人船長が不法行為を働いた証拠であるいわゆる尖閣ビデオに関して、民主党政権がその公開を行わなかったことは「国民の知る権利を侵害する」ものとして批判の対象となる(実際に「知る権利」を前面に押し出して民主党政権を批判する言論は枚挙に暇がない)。

▼都条例=東京都が"青少年"の「知る権利」を侵害した。
▼尖閣ビデオ=政府が"国民"の「知る権利」を侵害した。
 つまり「知る権利」という人権から考えた場合、この2つの命題は形式的には同列に扱うことが可能となる。しかしながら、積極的に都条例に反対する人々が積極的に尖閣ビデオの公開を求めている様子はないし、逆に尖閣ビデオの公開を求めている人が積極的に性表現規制に反対する様子もない。たとえば石原慎太郎東京都知事は尖閣ビデオの公開を是としながら、青少年の知る権利を抹殺しようとしている。一方、民主党政権の盲目的な支持者は尖閣ビデオの隠蔽を是とする一方で、青少年の知る権利を擁護する。ここでは両者共にダブルスタンダードに陥っており、「知る権利」という観点から首尾一貫した主張が行われているわけではない。これが「表現の自由」そのものにとって大きな問題となる。性表現反対派も尖閣ビデオ公開派も、ただ単に自分にとって都合の良い状態を招来させるために便宜的に「知る権利」を唱えているだけであって、決して「知る権利」そのものを尊重しているわけではないという疑いが拭えないわけだ。

 さて、東京都が"青少年"の「知る権利」を制限することを正当化する根拠は、"青少年"が判断力に乏しいというところにある。
 一方、民主党政権が"国民"の「知る権利」を制限することを正当化する根拠は、"国民"が判断力に乏しいというところにある。たぶん。
 尖閣ビデオから考えてみれば、政府は中国との外交に関して国民が知り得ない大量の情報を保有しているが故に総合的かつ合理的な判断が可能な立場にあるが、一般国民は一面的かつ断片的な情報しか知り得ず、尖閣ビデオに関しても一面的かつ断片的かつ感情的な判断しか下せない。よって尖閣ビデオに限らず高度な外交判断を要する資料は機密扱いにして判断力の乏しい"国民"に見せてはいけないことになる。(尖閣ビデオの例が不適切な場合はWikiLeaksなり公安情報流出を例にして考えればよい)
 性表現に関して言えば、青少年は性に関する知識や経験が乏しく、性的な情報に関して一面的かつ断片的かつ感情的な判断しか下せない。よって性的な表現は判断力の乏しい"青少年"に見せてはいけないことになる。

 つまり「知る権利」を制限することが正当化されるのは、情報を享受する主体が情報を一面的かつ断片的かつ感情的にしか扱えない場合である。(公安情報流出のような「プライバシー」に関する問題は煩雑になるので、まずは除外して考える)
 こう考えた場合、「知る権利」に関してダブルスタンダードが生まれる理由を説明することができる。青少年の判断力が乏しくないと考える人々は性表現の自由を主張し、国民の判断力が乏しくないと考える人々は尖閣ビデオの公開を主張する。"青少年"に判断力があると考える人の中には"国民"に判断力があるとは考えない人もいるだろう。逆もまた然り。この二つの判断が一致しない場合、「知る権利」に対してダブルスタンダードが生じる。
 こうしてみると、「知る権利」の有無を判定する際には「判断力」の有無が審級となっている。だから次の問題は、
(1)「判断力」の有無によって「知る権利」を制限してよいのか。
(2)「判断力」の有無によって「知る権利」を制限することが許容されるとして、どのような基準で「判断力」の有無を裁定するのか。
(3)「判断力」の有無を裁定するとして、誰がどのような権利でそれを「判断」するのか。
という3点となる。(ちなみに「知る権利」を「人権一般」と言い換えればさらに一般的な憲法問題へと変換される)
 以上のような問題意識を持ちつつ、「表現の自由」について考えていく。(12/5)


■信長の野望「天道」3年8ヶ月日本統一
 前回プレイよりもさらに全国制覇が3ヶ月スピードアップした。尾張一国からスタートして3年8ヶ月で日本統一。こちらに全国統一までの歩みをまとめてある
 最終盤でさらにスピードアップするために騎馬部隊の運用を視野に入れて開発や武将配置を行ったのが結果的に成功した感じ。蠣崎家などに対する「勧告」を成功させるために、運用部対数の上限と兵糧を睨みつつ、効率よく兵力を前線に運ぶことが重要。ここからは頑張っても1ヶ月くらいしか縮まらないような気がする。理論的最速値に相当近づいているような気がするけど、どんなもんだろう。(12/4)


■信長の野望「天道」3年11ヶ月日本統一
 前回プレイよりも全国制覇が2ヶ月スピードアップした。前回は同盟有りだったけど今回は同盟無しの完全制圧なので、体感的には半年分くらいは効率が上がった感じ。こちらに全国統一の歩みをまとめた
 武田家攻略を後回しにして、徳川家と北条家を先に落としておく戦略が当たったような気がする。前回プレイ時は敢えてwikiとかの情報を仕入れなかったけど、今回はいろいろ調べて先人の知見も反映してみた。街並の所属を変更するのが大事とか、敷設部隊が90人とか、技術の優先順位など、なかなか参考になる知見が多かった。「開幕」という概念が定着しているのもちょっと興味深かったり。「革新」の頃は開幕攻撃という概念はまったくなかったような気がするけど、今では当たり前のテクニックになっているようだ。
 ところで、天道のパワーアップキットが来月発売。とりあえず買うだけ買っておくのかな。(11/24)

■都条例
 11/21にあったコンテンツ文化史学会の大会に行ってみた。報告に関しては、ディシプリンがきちっと定まっている既存の学会のレベルから考えると甚だ問題があるように感じたが、会員が100人以下の学会は概ねこんな程度だったような気もするので気にせずに、これからの展開(主にディシプリンの確立)に期待を持ってみたり。単に作品批評的な研究に終始するなら東浩紀に任せておけば十分なので、こちらは史料批判を中心にディシプリンを確立した学術的な展開になることを期待。
 ところで会場に昼間たかし氏がいて、ちょっとだけ話をした。鯖江で開催された第二回メガネっ娘&メガネ男子コンテストに一緒にバスツアーに行って以来だけど、都条例に関して精力的に活動していることはtwitterなどで横目で見ていたり。で、明日の駒場祭の動員も受けつつ、都条例の話をちょっとだけ聞いた。なかなか予断を許さない感じ。
 個人的に気になっているのは、条例反対派の「表現の自由」に関する認識が19世紀段階で止まってしまっている点。ここを克服しておかないと、次のステージではかなり苦戦するような気がする。(11/22)

■めがねキャラONLY同人誌即売会
 来週は同人誌即売会「めがねくす」に参加します。で、メガネと言えばベヨネッタだろうということで、時間があまりない中しこしこ描いているところです。パーツが多くて難しいですね……。
 ちなみにベヨネッタのディレクター神谷氏はエロ同人に否定的なニュアンスの発言をしているんですけれども、ぼくはベヨネッタをプレイしている最中にフル勃起状態になることがあって。リビドーが解放されると、描いている最中に自然にエロになっていってしまうので、どうしたものかリビドー。
 まだEASYでしかクリアしていなくて、体操服とかチアガール服とかゲットしていないのがいけないのかなあ。
 ところで、ベヨネッタが使用する両手両足の銃、名前がサイモン&ガーファンクルに由来してますね。サイモン&ガーファンクルといえば思い出すことが2つあって、ひとつはLOVERSOULでお手伝いをしてもらった樺薫の女子野球小説『ぐいぐいジョーはもういない』がサイモン&ガーファンクルのネタでいっぱいだったこと。もうひとつは、サイモン&ガーファンクル来日公演のとき、東京ドームで野球帽を被って登場したのですが、ちゃんとジャイアンツだけでなく我らが日本ハムファイターズの帽子を被ってきたことです。日本ハムの帽子を被っていたのがどっちだったかは知りませんが。(11/7)

■信長の野望「天道」、4年1ヶ月で全国統一
 一年前に購入していたけど忙しくて放置していた。ようやく全国統一。こちらに全国統一の歩みをまとめた。地政学的な研究をせずに漫然と進軍して、4年1ヶ月かかった。気を遣ってプレイすればもうちょっと早くなるかな。
 難易度は「革新」よりも下がっているような気がする。

 最終盤では10箇所以上で同時に戦闘を行っていたのだが、出動部隊数に上限があるのを知らなくて、いきなり出陣できなくなってびっくりした。
  ということで、最近は携帯でも信長やってみたり。(10/31)

■首藤剛志が死んだ
 ぼくにとって首藤剛志は、『戦国魔神ゴーショーグン』と『ミンキーモモ』の作家だ。特にゴーショーグンはアニメージュ文庫の一連の作品もフォローしていて、ゴーショーグンがまったく出てこないのにゴーショーグンというところが好きだったりした。というか、ゴーショーグンが謎の時間帯に放映されていたせいでほとんど見ることができず、個人的にはゴーショーグンと言えば文庫版の方をイメージするわけだが。
 いや、ゴーショーグンはいい。とにかくミンキーモモは、空も海も、徹底的に総括しておくべき作品だろう。あれほど典型的に「近代的イデオロギー」で突っ走って「近代的イデオロギー」に押しつぶされた作品も珍しい。ここで言う「近代的イデオロギー」とは、「夢」という名で駆動される「自己実現」への強迫観念を意味する。「あらゆる人間が夢を持つべき」という近代になって初めて登場した人類の夢が実質的には「悪夢」であったことを、ミンキーモモが徹底的に暴き出す。その作りが意図的だったかどうかは死んでしまった今となっては聞くことはできないが、「夢」という「近代的イデオロギー」に真摯に取り組んだ結果がああなるのは、よく分かる気がする。
 まあそれもいい。とりあえず、ミンキーモモ(空)の第二話は、全人類が観ておくべきだ。(10/30)

■出雲のイナズマめがね
 高校を卒業してからめっきりメガネ姿を見なくなってしまった里見香奈女流名人で、個人的に落胆甚だしい一年だったが、女流王将戦はメガネで戻ってきてくれた。10代初の女流三冠おめでとう。メガネの棋士。(10/29)

■斉藤祐樹が来る
 我が日本ハムファイターズが引き当てた。ダルが25勝、斉藤が20勝、4番中田が本塁打55本でぶっちぎり優勝する未来が見える。(10/28)

■超久々ですが、同人誌即売会に参加します。
 11/14に京都で行われる眼鏡キャラONLY同人誌即売会『めがねくす』に参加します。サークル名は「めがねコミュニケーション宣言」で。そっちのWEBは死んでいるけど……そのうち復活する予定なのでしばしお待ちを。(10/16)


過去の備忘録


■web管理人:はいおく high-ox@high-octane.org