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「遅刻する食パン少女」記事まとめ

■キレンジャーの錯誤について−原典なしにパロディだけが流通する
 「遅刻しそうな女の子が食パンを咥え、走って登校している途中で曲がり角で男の子とぶつかり…… 」というパターンが「少女マンガの定番」とされることが往々にしてあるが、1970〜1985の『りぼん』作品を全て読破した経験から言えば、そんなマンガは存在しない。定番ではない。また「眼鏡を取ると美形」も少女マンガの定番と一般に思われているようだが、これも事実と反する。(「眼鏡を外して美人」というパターンについての世間の誤解はここを参照)。しかし、事実無根にもかかわらずなぜ「定番」だと勘違いされるのか。
 示唆となるのが「キレンジャーの錯誤」という概念だ。戦隊もので黄色というとデブでカレーが好きというパターンが定番だという観念が広く共有されていたが、実はカレーが好きでデブな黄色が出てくる戦隊ものはたった一つしかない。「目立った一例が、そのカテゴリー全体の共通項のように扱われる事」、これが「キレンジャーの錯誤」という現象だ(詳しくはここの考察を参照)。そして誰もが原点を挙げることすらできないのに、パロディーだけが流通するという事態が現出する。
 と言いつつ、「遅刻しそうな女の子が…」を極めようと思ったら、1965年〜1968年頃のマーガレット、少なくとも西谷祥子と本村三四子の作品には全て目を通すべきだと思われる。(所蔵マンガは別の場所にあるライブラリに保管しているのですぐに検索できないが、パンをくわえながら走るのは本村『太陽のカトリーヌ』1967年で見たような記憶がある、要確認。ちなみにぶつからない)。多くの人々が「This is 少女マンガ!」と信じている原型のほとんどが1960年代後半の少女マンガに見いだされるだろう。1970年代の少女マンガは、そこから遙かに進化した地点に立っている。
 そしてこれら少女マンガの原型については、おそらく1920年代ハリウッド映画から1950年代アメリカンホームドラマへの流れが鍵を握っていると推測する。なぜ朝食が「ごはん」ではなく「パン」なのかを考えたとき、『パパはなんでも知っている』をはじめとする1950年代アメリカンホームドラマが1960年代少女マンガに与えた影響についての考察は外せないだろう。(9/7)
なんで見たことがないものを「ありきたり」だと思えるのか、という話
 昨日の「遅刻しそうな…」の最初のリンク元はこのパターンを「定番」だと主張しているわけではなく純粋にネタ元を追究しているだけで、端的に間違っていて誤解を増幅させる恐れがあるのはこちらのgooの回答群のほう。特に田渕由美子に関する誤解は噴飯ものだ。とはいえ、良い着眼点とネタだけに、ツッコミを入れて展開させるとおもしろいだろうと感じたのもまた事実で、テーマは足で稼ぐことの意義。
 ぼくもかつてネタ元の追究に関心を持ったことがあり、実際に追究した。「眼鏡を外して美人!」というパターンの元ネタは何か。日々古本屋に通って1970年代のマンガにはほぼ全て目を通し、眼鏡っ娘が出てくるマンガは全て購入した。しかし「眼鏡を外して美人」というパターンは驚くほど少ない。単行本に収録されるようなマンガは見尽くしたので、次はマイナーな単行本未収録作品を調査すべく、現代マンガ図書館と国立国会図書館に通い、1970年代から遡って、週マ、別マ、なかよし、りぼんなど雑誌を絨毯爆撃的に検討した。そうした調査で見いだした「眼鏡はずして美人」の実例は現在まで142例。調査を思い立ってから方法を確立し結論を出すまでに費やした時日は5年あまり。ここまでしてもまだ「貸本マンガ」という未踏破の資料群がゴッソリ残っている。
 こうした実地調査を重ねた経験から、「遅刻しそうな娘がパンを…」パターンについて、1960年代後半の少女マンガ、特に西谷祥子・忠津陽子・本村三四子・大和和紀の検証を経れば説得力を増すと感じた。(その根拠はディープな少女マンガ読みとしての経験の蓄積と、そこから帰納された歴史社会学理論にあるが、これは後述だ)。ネットの検索は便利になったとはいえ、調査の初動を指し示す参考にとどまる。真実は足で稼ぐ実地調査によってしか明らかにならないが、現代は足で稼ぐ風潮が軽んじられていると感じて昨日のような書き方になった。カッとなってやったが、今はあと少々議論を敷延すべきだと感じている。
 さて眼鏡をここまで調査した限りにおいて、「眼鏡はずして美人」を一般的に広めたのは、少女マンガではなく少年マンガだったと言える。少女マンガの実例は140あまりあるとはいえ、その中には世間一般に大きな影響を与えた作品はない。しかし少年マガジンに連載された『翔んだカップル』は、TVドラマにもなり広く世間の人々の目に触れた。そしてここに「眼鏡はずして美人」パターンがものの見事に登場している。右上の図を参照、一目瞭然。ところがこの『翔んだカップル』にしても、TVドラマになるほどの人気作だったとはいえ、すでに25年以上前の作品だ。現在に至るまで影響を残しているはずもない。それなのに多くの人が見たこともない「眼鏡を外して美人」パターンを初めて見ても「定番」と感じるのは、なぜか。
 さて、「遅刻しそうな娘がパンを…」パターン。実例が『つらいぜ!ボクちゃん』に見いだせるのは事実として、はたして現在どれくらいの人がこの作品を知っているだろうか。作者の高橋亮子氏は小学館系少女マンガ誌のエースだった時期もあり現在でも根強い人気があるが、暗く重い作風が災いしたのか一般に大ブレイクまでは行っていない。ディープな少女マンガ読みが褒めるタイプのマンガ家だ、というわけでディープなぼくもご多分に漏れず褒めたくなる。特に病弱文学系短髪眼鏡っ娘がヒロインのマンガ『道子』は大傑作だ。「あはっ」と力無く笑う儚げな病弱文学系眼鏡っ娘は思わず抱きしめたくなる。が、この作品を知っている眼鏡っ娘好きにもかつて一人しか会ったことがない。『つらいぜ!ボクちゃん』は人気作だったとはいえ、広範に影響を与えたとは考えにくい。誰も「パンをくわえて…」の実例を見たことがないのに、なぜそれを「定番」と感じるのか。
 おそらく、ある実例が広範な影響を与えたというより、元ネタすら知られないままパロディが自己増殖したと見るのが事態をより正確に言い表していると推測する。では、なぜ「パロディが自己増殖」するのか、そのメカニズムは何か。「眼鏡をはずして美人」の実例をほぼ検討し尽くし、それが世間の誤解に満ちていることを発見した後、自分にとっての新たな課題はこのメカニズムの解明となった。「パンをくわえて…」パターンも、実例を極め尽くしたと思った後には、おそらく同様の課題にぶつかるだろう。なんで「定番」じゃないのに「定番」と思われるのか。なんで誰も見たことがないのに「ありきたり」だと思うのか。個人的には現在までに歴史社会学的な仮説を立てるに至っている。長くなったのでまた明日。(9/8)
■「食パンをくわえて曲がり角で…」の原典は少女マンガではない可能性が高いという話
 「眼鏡はずしたら美人…」にしろ「食パンをくわえて曲がり角で…」にしろ、実例は驚くほど少なく、実際に見たことがある人はほとんどいないはずなのに、なぜか多くの人が「ありがち」と思っている。その理由についての説明、名付けて「アメリカンホームドラマ空間」仮説。キーワードは「高度成長」と「核家族」。
 日本は1950年代後半から1970年頃までに未曾有の経済発展を遂げる。これを歴史学用語で「高度成長期」と呼ぶ。この高度成長期にお茶の間で猛威を奮っていたのが「アメリカンホームドラマ」だ。『パパはなんでも知っている』などが著名。高度成長期日本はアメリカからホームドラマを輸入するだけでなく、自らもホームドラマを制作し、大いに流行した。『ママちょっと来て』など。結論から先に書いておくと、「パンをくわえて…」とか「眼鏡を外すと…」というパターンのモトネタは、少女マンガではなく、これらアメリカンホームドラマが原典ではないかと推測している。以下、その根拠を縷々述べる。
 さて、これらホームドラマが高度成長期に流行したのには理由がある。これらのドラマが舞台としていたのが全て核家族という新しい形の家族だったのだ。高度成長を支えたのはいわゆる団塊の世代である。彼ら団塊の世代は兄弟が多く、両親と一緒に住めるのは長男だけで、次男坊三男坊は都会に出て働いて、そこで新しく家庭を持った。その大量の労働力が高度成長を支えたのは周知の事実だ。田舎を棄てて都会に出て高度成長を支えた次男坊三男坊たちの新家族は、必然的に核家族となる。そして当時は核家族生活の先行モデルが存在しなかったために、彼らは自分たちで新しい家庭モデルを模索するしかなかった。その目の前に差し出されたのがいわゆるアメリカンホームドラマ群だ。(日本にも大正時代の「文化生活」という核家族の先行モデルはあるにはあるが、議論が多岐に渡るので省略。)
 団塊世代の核家族がアメリカンホームドラマを理想のモデルとした証拠は、建築様式の変化にも顕著に見いだされる。彼ら団塊の世代が都会に出て住んだのは団地など集合住宅だが、この集合住宅の作り自体が日本風(土間と竈と縁側)を捨ててアメリカンホーム(リビング・ダイニング)をモデルにしている。「光が丘団地」や「ひばりヶ丘団地」などDKモデルが確立するのが1950年代。「多摩ニュータウン」などLDKモデルが確立したのが1960年代だ。そしてこれらに入居したのが団塊の核家族世帯である。
 高度成長期には光が丘団地に入居するような団塊の世代をターゲットとしてTVドラマが輸入され制作されたが、少女マンガも1960年代後半にその影響を受けて大変化を遂げる。代表的なホームドラマ作家は、西谷祥子、本村三四子、大和和紀など。それ以前の少女マンガは手塚治虫や石森章太郎、松本零士といった男性作家が支えていた。(松本零士が少女マンガというと意外に思う人も多いかもしれないが、こちらの松本零士ファンサイトの50年代と60年代のリストを参照のこと。『少女』『なかよし』『りぼん』『マーガレット』に多数の少女マンガを描いているのを確認できる)。これが1960年代後半になると、アメリカンホームドラマ的な少女マンガが一気にメインストリームに躍り出る。1950年代後半のアメリカンホームドラマを観て育った子供が10年後にマンガ家になったとき、少女マンガの転回が発生したのだ。(その流れの集大成がアメリカの高度成長期を舞台とした『キャンディ・キャンディ』となるわけだが、それはまた別の話)。
 さて、こうして1960年代後半に少女マンガは顕著なアメリカ化を遂げる。そしてこの時期の少女マンガにいわゆる「定番」が多いのは気のせいではない。そして歴史的経緯を正確に辿れば、それら1960年代少女マンガは1950年代アメリカンホームドラマに大きな影響を受けている。「パンをくわえて…」のモトネタが1950年代アメリカンホームドラマにあるのではないかと推測するのは、こういった理由による。
 そして、「見たこともないエピソードをありきたりと感じる」という感覚の理由もここに潜んでいるように思う。我々は伝統日本家屋を放棄してLDK様式=アメリカン生活に移行した。そして大家族を放棄し、かつて経験したことのない核家族中心の生活のモデルとしてアメリカンホームドラマの世界を採用した。こうして我々の生活空間がアメリカンホームドラマ化する。ここに「パンをくわえて…」というエピソードを「定番」だと認識する前提が生じたのではないか。
 この仮説が正しいとすれば、事態の説明は簡単になる。我々はかつて見たことも聞いたこともないエピソードを初めて見聞きしたときに、なぜ「ああ、ありがちだ」などと言えるのか。それは、もともと我々の文化(日常生活の作法や思考様式の総体)がアメリカンホームドラマ化されており、そこにアメリカンホームドラマ化されたエピソードが投入されたときに既視感を感じるのだ、と。(たとえば、我々は日本的なものを生まれて初めて目の当たりにしたときにもそれを日本的なものだと判断できる。「日常生活の総体=文化」がそういう判断の前提となる構えを形成する。)
 この仮説を側面から支持するのは、「眼鏡はずしたら美人…」にしろ「食パンをくわえて曲がり角で…」にしろ、これらエピソード自体からプンプンと漂うアメリカ臭だ。そもそも、なぜ朝食が「ごはん」ではなく「パン」なのか。おじいちゃんおばあちゃんと一緒に住む大家族が舞台では起こりえない事態だ。「眼鏡を外して…」については『スーパーマン』の事例で十分だろう。
 そしてさらに加えれば、そのアメリカ臭が一種の諧謔性をも演出する。ここにパロディが自己増殖していく理由があると睨んでいる。たとえば本場アメリカだったら、舞台は6LDKの庭付一戸建てで、くわえていくパンもママ自家製の香ばしい焼きたてクロワッサンだ。日本人たる我々は、核家族という形態はアメリカと同じであっても、舞台は狭い集合住宅で、くわえていくパンもスーパーで買ってきた安い食パンだ。この核家族に関する「理想」と「現実」の落差が「パロディ」を産む動因となる。(だからぼくは『耳をすませば』のマンガ版と映画版のギャップに苦笑せざるを得ない)。いわゆる「定番」と誤認されやすくパロディだけが自己増殖していくタイプのエピソードは、「アメリカ臭」と「理想と現実の落差」という条件に当てはまるものが多いのではないか。(そしてその「あーあー、あるある!ありがち!」という感覚と「理想」との落差をうまく利用したのが『ちびまるこちゃん』ではないか)。
 という仮説を検証するためには、1920年代ハリウッド映画から1950年代ホームドラマを実証的に分析する必要があるが、手はついていない。少女マンガなら昔のものでも現代マンガ図書館なり国会図書館なりで読めるけど、1920年代有象無象ハリウッド映画はどうやってアクセスするんかな。(9/9)
■『つらいぜ!ボクちゃん』がパンをくわえていなかったという話
 ネット上で「遅刻しそうな女の子がパンをくわえてぶつかる」の原典とされていた『つらいぜ!ボクちゃん』ですが、実際に見てみると、パンをくわえていませんでした。正確には以下のような状況です。
つらいぜ!ボクちゃん
 で、ライブラリにあった1960年代後半〜1970年代のマンガをざっと見てみましたが、そもそも朝食がパンということ自体がほとんどないということもわかりました。
パティの初恋 遅刻しそうになってパンをくわえる事例は、本村三四子「パティの初恋」(単行本『太陽のカトリーヌ』所収、1968年)にありました。図は右の通り。
 注目されるのは、くわえているのが食パンではなくコッペパンというところでしょう。このコッペパンくわえて鉢合わせという状況は、まさにアメリカンホームドラマがやりそうなものです。
 さて、ぼくとしても1960年代後半から1970年代のマンガについては数千冊単位で目を通しているわけですが、それでも「パンをくわえてぶつかる……」という事例は思い浮かばない。少女マンガの定番でないことだけは、間違いがないでしょう。やはり1950年代アメリカンホームドラマのほうが怪しい。そして原典がホームドラマとしても、くわえるのは安ものの食パンではなく、コッペパン系の可能性が高そうだ。

 で、むしろこれらの事例で興味が喚起されるのは、「ボク女」の起源です。これは少なくとも『つらいぜ!ボクちゃん』に遡れることは間違いなく、さらに昔にも遡って行けそう。Wikipedeaでは「三つ目が通る」が事例として上がっていますが、もっと遡れそう。里中満智子あたりが60年代にやってても驚かない。そして「パティの初恋」の6コマ目に注目。「ツン」などと言っております。でも最終ページでは、「ウフッ」とか「アハハ」とか笑いながらこの男の子と肩を組んでおります。まさにツンデレ。というか、この時期のラブコメ系少女マンガは、ほぼ全てツンデレ。『電車男』が70年代オトメちっくマンガと同じ構造だという指摘もあり、むしろそういう観点から60〜70年代少女マンガと21世紀ギャルゲの類縁性について考えるとおもしろいかもしれない。(9/10)
■和田慎二のマンガでもパンをくわえていないことを確認
 和田慎二の「パパシリーズ」で「パンをくわえて…」パターンがあるとの情報もあったが、こちらも実際にはパンをくわえていないことが確認された。和田慎二「白い学生服」(マーガレットコミックス『炎の剣』所収、1974年9月)では、遅刻しそうになった主人公が右手にカップ、左手に食パン、小脇にかばんを抱えた格好で家を飛び出すが、パンをくわえているわけでも「遅刻遅刻」と言うわけでもない。
 ということで、これまでの少女マンガに関する「パンをくわえて…」パターンの目撃情報は全て否定されたことになる。パンをくわえて走ってぶつかる少女マンガは、定番どころか一例も存在しない疑いが本格的に強くなってきた。(9/11)
■竹熊健太郎氏から返事が来た
 「遅刻しそうな少女がパンをくわえて曲がり角で…」パターンについて竹熊健太郎氏に質問メールを送ったところ、丁寧な返信が来ました。いい人だ。直接的な典拠はなく、いくつかの事例を複合したという旨でした。
 で、竹熊氏が中学生の頃にはこれが一種のパターンだという認識は一般にあったとのこと。1970年代の半ばには一定のイメージが形成されていたということになります。そうすると、直接的な原典、あるいは近い事例があるとすれば、かなり作家を絞り込めます。1970年前半までにアメリカ系ロマコメで活躍した作家、となれば、西谷祥子、本村三四子、細川知栄子、北島洋子、青池保子、里中満智子、大和和紀、忠津陽子、このあたりの可能性が高いでしょう。が、この時期のマンガはそもそも単行本になっていないことが多く、現代マンガ図書館か国立国会図書館で雑誌をしらみつぶしにあたるしかありません。現時点では、これ以上のことはわかりそうにない。
 竹熊氏本人とは面識はありませんが、別れた奥さんには眼鏡のフレームが歪んでいることを非難したり、似合う眼鏡を探しに行ったり、おでんをふるまったりしたことがあります。もう5年くらい前の話か……。(9/11)

■ヌルすぎるが……
 「遅刻する"食パン少女"は少女マンガに実在するか」という記事ですが。85作品で結論出すのはなあ……せめて5000冊は読まないといけないんちゃうかと思いますが。まあ「研究」と速報性が重要な「記事」とは性格が違うってことで、「記事」がヌルいのはしょうがないんでしょうけどね。
 ちなみに、今のところ「遅刻しそうになってパンをくわえる少女」でぼくが知る限りの最古の事例は本村三四子「パティの初恋」(1968年)。
 このあたり、我々が「ありがち」と思っている事例はほとんど1920年代ハリウッド映画を起源とするのではないか、という仮説をぼくは持っておりますが、誰か1920年代のハリウッド映画をしらみつぶしに研究してくれる暇人はいないかのう。
■遅刻する"食パン少女"の歴史社会学
 「遅刻遅刻」と食パンをくわえながら走る少女……というパターンが登場したとすれば、歴史社会学的見地から言って、少なくとも日本では1960年代後半以降と推測できる。それは、「食パン」「遅刻」の両要素の経済史的考察から導出できる。

(1)食パンに関する考察
 まず注意を要するのは、「食パン」という種類のパンが全世界のパンの中ではマイナーで新しい部類に属する、という事実だ。世界で「パン」といったら、フランスパン、ドイツパンなどを思い浮かべ、食パンを連想することはまずない。食パンが発生したのは産業革命期イギリスである。産業革命期、貧乏な労働者=プロレタリアートに安価な食料を供給するため、大量生産・大量輸送に適した角型の食パンの流通が促進された。食パンは貧乏人の食べ物であることには、十分な注意を要する。
 そして、日本人がパンを食べ始めたのがつい最近であることも要注意事項だ。瓦屋根・障子・縁側という日本家屋において、食料生産の拠点となるのは「竈」であって、オーブンではない。だから、パン文化の一般化には、「日本家屋=竈」の絶滅が必要条件となる。その地点は1960年代、多摩ニュータウンなどLDKモデルが定着して以降のことである。
 そしてパン食文化の十分条件とは、白米を食べる人種との隔離である。それは、核家族化によって成立する。核家族化は、団塊の世代の経済的独立によって、1960年代に促進された。これがLDKモデルの発展と並行的に進行したのは必然である。「竈=日本家屋」から脱出し、核家族を形成した団塊世代がLDKモデルのアパートに入居したのだ。この経済史的条件が、パン食成立の文化的条件となる。そしてその団塊世代の核家族に供給されたのが、貧乏人=プロレタリアートの食物である「食パン」である。「フランスパン」ではなく「食パン」であるという文化史的意味は、そうとう深い。なぜ朝食がごはんではなく、そしてフランスパンではないのか、その前提から問い直すべきだ。実際に1960年代のマンガを見よ。ほぼ全ての食事シーンが茶碗に白米であり、パン食自体をほとんど見ない

(2)「遅刻」に関する考察
 そもそも「遅刻」というものを悪いことだと考えるようになったのがつい最近であることに注意するべきだ。現代でも、インドや中南米の鉄道が時間通りに運行せず、そしてそのことに対する罪悪感がない。「遅刻」を「悪」だとする感性は歴史的に作られたのだ。
 遅刻を悪とする感性は、フランスの歴史家フーコー『監獄の誕生』によれば、産業革命期に確立された。工場操業における効率性追求の過程で、工場労働者に時間遵守の精神を植え付けることが必要となった。この感性を子供のうちにたたき込むために、大衆学校において時間遵守の精神が叩き込まれることになる。
 そもそも、ヨーロッパでは学校が「貴族・資本家」向けと「大衆」向けとに完全に分離していたことには十分な注意を要する。貴族向けの学校では、遅刻はたいした罪とは見なされない。時間遵守が要求されるのは、工場労働者育成を目的とする大衆向けの学校である。そして大衆向け学校が一般化したのは19世紀後半である。だから、そもそも「遅刻遅刻……」と学校への道を焦りながら走るなんてこと自体、19世紀ヨーロッパにはあり得ないことだったのだ。
 日本ではどうか。日本においても、現代のインドや中南米と同様、1950年頃までは時間に対してルーズなのが普通だった。時間どおりに学校に行くどころか、農繁期は学校をサボって種まきや稲刈りの手伝いをするのも普通の感覚だった。この時間にルーズな感覚は、1960年代に絶滅する。なぜなら、農家が激減し、工場労働者が激増したからだ。農業には大きな季節感は大事だが、ジャスト・オン・タイムである必要はない。1分1秒の神経質な正確さを要求されるのは、工場労働者とサラリーマンだ。時間に正確であることを要求される職種が一般的になったのが、高度成長期、すなわち1960年代である。この経済史的条件が整って、はじめて「遅刻=悪」という感覚が成立する。

(3)結論
 以上、「食パン」の側面からも、「遅刻」の側面からも、経済史的条件を考慮した場合、日本で必要十分条件が揃うのは、少なくとも1960年以降である。私が「食パン少女」の出現を1960年代と推測するのは、以上の歴史社会学的洞察による。
 そしてさらに言うならば、アメリカにおいては、その歴史社会的条件が整ったのが1920〜30年代である。そしてこの時期の文化的条件も、日本の1950〜60年代に類似している。すなわち、「大衆文化としてのハリウッド映画の成立」と「マンガの成立」の類似である。食パン少女の原型が1920年代ハリウッドにあると推測するのも、この歴史社会学的洞察による。
 資料を読み解く場合、こういった仮説をもとに読むか読まないかで、資料の見え方自体が変わってくる。「遅刻する食パン少女」というネタは、単なる想像の産物ではなく、こういった歴史社会的な事実の蓄積を背後に持っている。だからこそ、"一点突破全面展開"を可能とする「ネタ」としての生命力があり、パロディとしても多用されることになる。(12/26)
■時間厳守の精神は明治時代に導入されたのか?
 導入されたが定着はしていなかった、というのが正確だろう。こちらの方に丁寧に読んでいただいてツッコミが入ったので、ちょっとフォロー。
 周知のとおり、近代的な学校制度は1872(明治5)年の学制に始まり、ここで近代的時間感覚も輸入された。近世寺子屋では授業の始めや終わりは明確には決まっておらず、子供たちは家業の手伝いが終わると思い思いの時間にやってきて、個人授業を受けていた。近代学校制度では就業時間が明確に決まり、一斉教授となった。工場と一緒の時間規律が学校に導入された。
 だがもちろん、近代時間感覚が一気に民衆に定着したわけではない。定着の第一段階は1920年前後、歴史用語で言う大正デモクラシー期まで待たねばならない。この時期は第一次世界大戦を経て日本の産業革命が飛躍的に進行し、産業体勢の構造が急激に転換した時期に当たる。いわゆる小学校の就学率がこの時期にほぼ100%になったのも偶然ではない。
 しかしこの時期でも全人口に占める賃金労働者の割合は7%程度。歴史の表舞台に登場する少数の人間は近代時間意識を持っていたが、大半のモノ言わぬ日本人はまだ半封建的な世界にいた。川島武宜あたりの法歴史学が参考になる。簡単に読める古典は岩波新書『日本人の法意識』。
 近代的な時間感覚は、明治時代でも1880年頃から小説にも登場する(北村透谷など)。問題は、その小説をいったい日本人の何割が読んでいたかということだ。明治中期なら推定10000人、全人口のたった0.3%だ。1920年頃には円本ブーム、総合雑誌などの勃興によって、大衆にも近代的な小説が広まっていった。だが、それでもたかだか数十万人、全人口で数%レベルでの話に過ぎない。教師を代表とするプチ知識人は近代を身につけていたが、それら近代人とムラの半封建人とのおもしろおかしい感覚のズレの挿話は枚挙に暇がない。ムラに赴任した女教師が夜這いをかけられるなんてのは典型的なおもしろエピソードだ。そして一応、国鉄は戦前からテクノクラートの一部として発達してきた歴史があるため、教師という職業と同じレベルで近代感覚が形成される領域と推測される。問題は、人口の大半を占める農民が何を考えていたかになる。
 1920年頃を定着の第一段階として、第二段階は戦後高度成長期、大衆化の時代にあたる。高度成長期の産業構造の転換は、1920年代よりも徹底的だった。というか、人口動態史的に一瞥しただけで、人類史上このような大転換を経験した国は類を見ない、そういう特異な時期に当たる。いま我々がアタリマエと思っている多くの部分がこの高度成長期(1955年〜1973年)に起源を持つのではないか。(そしてそれはさらにアメリカの高度成長期1920〜30年代に類似するのではないか)
 たとえば、一般大衆が恋愛結婚に価値を見いだすようになったのは、高度成長期だ。そのあたりの証言は、岩波文庫ポケットアンソロジー『恋愛について』で数多く得ることができる。
 たとえば、なぜ『三丁目の夕日』を見た若者が「懐かしい」などと言えるのか? 『新撰組』を観て、人は「懐かしい」とは言わない。『男たちの大和』を観て、人は「懐かしい」などとは言わない。しかし高度成長期の物語を観て、そのとき生まれていなかったはずの若者が口を揃えて「懐かしい」と言う。そういや『プロジェクトX』が終わったなあ。
 ってわけで、"無理矢理1960年"というのはある程度的を射ていて、高度成長という歴史的時期の持つ意味を一点突破全面展開できる素材として「食パン少女」ってネタは優秀なんじゃないか、という直感を展開してみたってとこになりますか。
 ちなみに年齢は、初めて買ったパソコンがPC−8001(無印、メモリを32KBに増設!←MBじゃないよ)、ということでほぼバレる。ハンドアセンブルもできる、RET=C9。(12/30)


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